轍探検その1

仙北鉄道築館線

 

仙北鉄道築館線は東北本線・瀬峰駅を基点に

藤里・新生園前・太澤・玉萩そして終点・築館を結ぶ12.5Kmの鉄道でした。

1950年2月28日をもって廃止となりました。

計画では築館からさらに一迫を経由し花山まで行く予定でした。

 

われわれ轍探検隊は廃止から53年が経過した2003年4月4日、その路線跡をたずねた。

(築館から南下し瀬峰方面へ向かいました)

 

築館駅

  

 築館駅跡。宮城交通の築館営業所になっている。 瀬峰方面。青い家のあたりには引込線があった。

 

当時の築館駅

 

築館駅〜玉萩駅

区画整理により住宅地となった町内の路線跡を探すのはもはや困難である。

上の写真から2kmほど東に行くと東北自動車道があり、地形も分断されてしまっている。

自動車道を越えるといよいよ埋もれた轍が姿をあらわす。

県道176号線沿いを流れる荒川の土手がかつての路線。

 

玉萩駅

土手をさらに東に向かうと東北新幹線と交差する。

現地の人によるとこのあたりに玉萩駅があったそうだ。

 

 

玉萩駅〜太澤駅

さらに直進し東北新幹線のガードを抜けると県道29号線と交わる。

そこには小さな橋梁が残されていた。

 

この橋梁跡から50mほどで町道にぶつかる。

現在の町道はかつての路線跡を利用して敷かれた。

 

町道をしばらく走ると八沢川を越える大照橋

当時の社史によると、この川を渡る橋梁も難工事箇所にひとつに上げられている。

 

太澤駅

築館線の線路班がおかれて、貨物用側線もひかれていた。

 

       今はバス停となっている。     奥に見える軽トラックのあたりに駅があったそうだ

 

当時の太澤駅での出征の様子。

 

 

太澤駅〜新生園前駅

この区間には築館線最大の難工事箇所といわれた葉ノ木山隧道跡がある。

わが轍探検隊にとっても、この区間が最大の難所となった。

 

太澤駅をでると、しばらくすると県道29号線と合流する。

ここからは次第に勾配となる。

いまでこそ、この勾配を県道がはしっているが、かつては何もない山の中。

ましてや勾配を苦手とする列車にはトンネルが必要だった。

 

葉ノ木山隧道 ついに潜入!!

われわれ轍探検隊はこの葉ノ木山隧道を探索すべく決死の潜入を開始した!

工事完了間もない葉ノ木山隧道

 

トンネルの手前数百メートル手前から、県道を右にそれる。

かつての路線跡、そして恐怖の入り口だ。

 

しかし、すぐに行き止まりとなっていた。

しかし、こんなことでめげる轍探検隊ではない。

われわれはさらに先へとすすんだ。

 

ここからは薔薇が多く傷だらけの潜入となった。

 

両脇に石を組んだ、かつての路線跡が見えてきた。

このあたりは湧水によって恐ろしいほどぬかるんでいた。

長靴を履いての調査だったが、ズブズブと足が沈んで前に進むのがやっとだった。

 

突然、草陰からガサガサッと物音が!

…野生のキジだった。体長はゆうに1メートルを超えていた。

ちなみに県道は写真の左手、はるか上…

 

ついに姿をあらわしたトンネル跡。

崩落がはげしく、もはや上部50センチほどを残して埋没していた。

また坑口もかなり後退しているようだ。

 

勇気をだして、潜入する。

はるか向こうに出口が見える。

途中からは水没している。

 

レンガの隙間からボタボタと水滴がおちてくる。

向こうの出口が大きく見えるが、実は溜まった水に反射しているためで、実際は上半分だけ。

 

かなり崩落しているものの、レンガの組まれ方がよくわかる。

 

 

さて葉ノ木山隧道を反対側から覗いてみよう。

新生園前バス停から丘陵地を下ると右手にスクラップ置場が見える。

その裏がまさにトンネルなのだが、雑木が生い茂る断崖絶壁となっており、

降りることはできなかった。

 

  かろうじて、写真中央に坑口が見えた。  反対側の崖の上から。わずかに確認できるのみ。

 

 

上の坑口から20メートルの地点。

完全に水に沈んでいる。

 

新生園前駅

「東北新生園」とはハンセン病療養施設である。

ということは当時はライ病患者の隔離施設だったのであろう。

現在は築館から瀬峰に向かう県道の左手にあるが、当時は右手。

まさに葉ノ木山隧道の真上にあったそうだ。

残念ながら新生園前駅跡は見つけることはできなかった。

葉ノ木山隧道を出たあたりにあったそうだが…おそらく水没してしまったのだろう。

ちなみに、現在のバス停である新生園前がこの丘陵地のサミットである。

新生園前バス停。この下をトンネルが貫いている。

 

 

新生園前駅〜藤里駅

勾配を下りさらに県道を南下する。

赤線が県道。白線が路線跡

今の県道に戻る。

 

再び県道からそれて農道にはいる。

目印は「毒堤」の石碑。

 

すると、かつての路線跡を示す石碑があらわれる。

瀬峰町にはいると、自治体により立てられたこのような石碑が多くみられる。

石碑から瀬峰方面を見る。

しばらくは路線跡が農道として利用されているが、この先からは農地に転換されており、路線跡はしばらく途絶える。

 

かろうじて、橋梁の跡は残されていた。

ここから、再び県道に。

 

今度は県道から左へそれる。

「瀬峰八幡神社」の石碑が目印。

この通りは瀬峰線廃止後は宮城バス専用道路として使用されていた。

 

藤里駅

 

藤里駅跡を示す石碑     向かいには瀬峰八幡神社がある

 

当時の藤里駅

 

 

藤里駅〜瀬峰駅

いよいよ終点瀬峰駅を目指す。

さらに瀬峰方面に向かうと東北本線と交差する。

本線の下をくぐり右にカーブするといよいよ瀬峰駅である。

 

 

瀬峰駅

かつて仙北鉄道の駅舎があったところは空地や駐車場になっている。

 

跨線橋の○で囲んだ部分だけ色が違っている。

ここからさらに仙台北鉄道のホームへ延びていた。

 

当時の瀬峰駅

 

ここを拠点にさらに東へ、仙北鉄道登米線が延びていた。

 

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